カテドラル山

チリ&アルゼンチン

1995/7/19〜1995/7/30

1. 機中2連泊編 / 2. アンデススキー編 / 3. 南米のスイス編 / 4. アンデス横断編 / 5. サンチアゴ帰還編 / 6. 帰国編

1. 機中2連泊編 (1995/7/19〜7/20)

●はじめに

旅行記を書くのときには、もっぱら自分の備忘録として残しておこうということを意識しています。そういう意味では、旅行から帰ってきた後、まだ記憶が薄まらないうちに書くのが本来の姿なのですが、そろそろネタが尽きてきたところで、ちょっと昔の記憶を引っぱりだし、珍しい旅行の記録でも残しておこうかと思います。というわけで、これを書いているのは2005年の5月ですが、そこから約10年前、1995年7月の南米一人旅のことをこれから綴っていこうと思います。(つたない記憶で書いているので、細かいデータなどには結構間違いがあると思います。実際に旅行に行かれる方は、他の場所で情報を再確認して行かれるようにお願いします)

そもそも南米なんかに行こうと思いついたのは、その年の5月末ごろだったでしょうか。夏の予定が特に立っていなかったこともあり、じゃあ世間で良く聞くニュージーランドスキーでも行ってみようかなあ、なんて寝ながら考えていたとき、そのアイディアは突然天啓のように降ってきたのでした。

「南半球なら、南米っていう手もあるじゃないか!」

伏線はありました。その頃私が愛用していた"The White Book of Ski Areas"という、アメリカ・カナダのスキー場ガイドのような本の巻末に、特別読み物として、"Las Lenas"というアルゼンチンのスキー場のちょっとした旅行記が載っていたのです。どうやら南米には結構大きなスキー場がいくつかあるらしく、ニュージーランドよりもなんか楽しそうな感じです。とはいえ、時は1995年、まだインターネットの黎明期で、今のようにスキー場のウェブサイトなんかがある時代ではありません。いろいろ調べてみましたが、南米のWWWサイトはまったく発見できず、WWWの親戚であるGopherという(今となっては化石のような)システムで、チリ大学か何かのサイトをかろうじて発見したのですが、旅行者向けの情報なんて何ひとつありませんでした。ということで、「地球の歩き方」だけが唯一の情報源という状態で計画開始です。

さて、まずは旅行の時期と大雑把な目的地を決めなければなりません。南米となると飛行機代がかさむのが問題で、ましてお盆の時期となるととんでもない値段になりそうです。幸い、当時の私の職場は社内でも突出した「象牙の塔」的な研究所で、上司も放任主義の人だったこともあり、長い休暇を取ることにそれほど支障はありません。ということで、海の日の連休に大量の有給休暇を組み合わせて、7月末に12連休を取ることにしてしまいました。とはいえ12連休なんてそうそう誰でも取れるものではありませんし、そもそも南米なんかに行こうと思った段階で、これが一人旅になることはほぼ既定事項だったわけですが。次に目的地ですが、スキー場があるのはチリとアルゼンチンということで、サンチアゴかブエノスアイレスを拠点に考えることになります。せっかくだからついでにイグアスの滝にも行ってみたかったのですが、となると国内線の飛行機であちこち飛び回ることになり、費用と日程の面でどうにもうまくいかないようで断念。結局サンチアゴまでの往復航空券だけ購入し、あとは行ってから考えることにしました。航空券は、当時の必需品「エイビーロード」で調べ、ユナイテッド航空のサンフランシスコ・マイアミ経由便を購入します。この旅行でユナイテッドのマイレージが一気に20000マイル以上貯まってしまったことが発端となり、以来今に至るまで、ユナイテッドから離れられなくなってしまったのはまた別の話ですが。

チリの地図

左の地図を見ていただければわかりますが、日本から見て地球の真裏にある南米に行くためには、大きく迂回して北米を経由していかなければなりません。それでもロサンゼルスからブエノスアイレスへの直行便なんかを使えば一回の乗換えで行けるのですが、今回は目的地と値段の関係で、北米内で二度乗換えという過酷なルートになってしまいました。右の地図は今回の旅行で辿ったルートの概略ですが、これはあくまで結果であり、計画段階では何にも決まっていません。ついでに下にスケジュールを載せておきますが、こちらも同様に結果としてこうなったというものです。それにしても機内泊が4回に車中泊が2回というすさまじい日程で、よくも身体がもったものだという気がします。

日付行程宿泊
1995.7.19 (水)成田 >> (機内泊)
7.19 (水)   >> サンフランシスコ >> マイアミ >> (機内泊)
7.20 (木)   >> サンチアゴLivertador
7.21 (金)Ski (La Parva & Valle Nevado)(車中泊)
7.22 (土)バリローチェResidencial El Nire
7.23 (日)Ski (Cerro Catedral)Residencial El Nire
7.24 (月)国境越えツアーHotel Peulla
7.25 (火)国境越えツアー(車中泊)
7.26 (水)バルパライソHotel Paris
7.27 (木)Snowboard (El Colorado)Hotel Paris
7.28 (金)サンチアゴ >> (機内泊)
7.29 (土)      >> マイアミ >> サンフランシスコ >> (機内泊)
7.30 (日)      >> 成田 

さて、とにかく準備段階でわかっているのは、7月20日の朝にサンチアゴ空港に着き、28日の夜にサンチアゴ空港を出発しなければならないということだけです。あとはとりあえず米ドルで500ドルぶんのトラベラーズチェックを購入し、念のため国際免許証を作り、友達からスペイン語の辞書を借りて準備完了。出発日まで「地球の歩き方」を見てスペイン語の勉強です。ちょうど職場にコロンビア出身の友人がいたので、彼に「もう少しゆっくり話して下さい」とか「もう一度言って下さい」とか自慢げにスペイン語で言ってみせたら、「でももう一度ゆっくり喋ってもらったってどうせわからないんだろ」と突っ込まれてしまいました。代わりに「あなたはとても綺麗ですね」というのを教えてもらったのですが、果たして使う機会があることやら…。

●怒濤の機内2連泊

いよいよ出発日。出発便は成田を夕方に出るので、午前中は自宅でゆっくりし、昼過ぎにようやく出発です。成田からサンフランシスコへの便は、この半年ほど前にアメリカのアスペンにスキーに行ったときに乗ったのと同じ便で、勝手はわかっているのですが、いつものことながらあんまり眠れません。成田を出るのが夕方ですからあんまり眠くないし、それでも頑張って少しウトウトしたあたりで到着してしまい、外を見ると「えー、もう朝なの?」という感じですね。とにかく入国手続きを済ませ、まずは本屋さんで英語のガイドブック"Lonely Planet"のチリ編を購入します。これでとにかく情報量がだいぶ増えるのと、トラベラーズチェックで払ったおつりでドルの現金がだいぶできました。そうこうしているうちに次の便の出発時刻が迫ってきます。マイアミまでは5時間ほどのフライトですが、時差もあるため着くのは夜になります。幸い機内はかなり空いていて、機内食を食べてあとは眠っているうちにマイアミに着きました。

次は南米行きの国際線ターミナルに移動。かなり雰囲気が変わってきました。もともとマイアミというのはスペイン語を話している人が多いところですが、その割合がひときわ高くなります。ここでも売店で新聞とかお菓子とかを購入してトラベラーズチェックを換金します。そうして夜もかなり更けてきたところで、いよいよサンチアゴ行きの便の出発です。幸いなことに、機内はサンフランシスコからの便を上回るガラガラぶり。しかも今回は大きな機体なので、中央の5列分の席を一気に占拠してしまいました。これでファーストクラス並のフルフラットシートを確保。朝までたっぷり熟睡できたことで、機内2連泊は思いのほか楽な行程となったのでした。目が覚めて機内食の朝食を取ると、いよいよ初めての南米大陸に着陸です。


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