パリ編 (2004/3/12〜13) |
さて、残すはパリでの観光二日間だけとなりました。明日の夜の飛行機で帰国です。我々二人ともパリには何度か来ており、めぼしい観光地は一通り見ているので、今回は観光名所にとらわれずパリの雰囲気を味わうことに重点を置こうと思います。
今回の宿は、リュクサンブール公園のすぐ横にあり、交通至便、周囲の雰囲気も良さそうです。のんびりと朝食を取りつつ今日の予定を考えますが、外は雨。とりあえず天気に関係なく見られるところとして、グラン・パレの中にある科学博物館に行ってみようということになりました。
地下鉄を乗り継いで、最寄り駅のシャンゼリゼ=クレモンソーに着きます。科学博物館までは歩いてすぐ。入場券を買って入るとプラネタリウムがあり、次の上映がもうすぐ始まるところだというので、急いでチケットカウンターに取って返し、鑑賞券を購入しました。フランスのプラネタリウムは日本とは随分違って、小学校の課外授業のような雰囲気です。面白おかしく聞かせるというよりも、何とか知識を伝えてやるぜ、という説明員の気概が伝わってきましたが、いかんんせん言葉がわかりません。それでもジュピテールとかメルキュールとか、惑星の話をしてるんだろうなあ、ってことは何となく感じられました。それから展示を見て回りましたが、やはり解説がまったくわかりません。連れは仏文科卒ですが、科学の方はさっぱり。私は大学で物理を学んだものの、フランス語がさっぱり。なんか二人羽織のような状況ですが、まるで手が出ないというわけでもなく、あれやこれやと推理を巡らせながら見ていくのも悪くありません。もともと子供に見せることを意識して、かなりわかりやすく作ってありますし。
科学博物館の後は、となりのプチ・パレで美術展を見ていくつもりだったのですが、改装中で閉館。やむなく雨のシャンゼリゼをブラブラと散歩することにしました。途中のレストランでお昼にした後、さらに先に行くと、左手に怪しげな建物が見えます。そう、日本人観光客御用達、あのルイ・ヴィトンです。もちろん我々は入るべくもないのですが、なんかそういえば周囲に日本人を見かけるのが多くなったような気もします(そういえばトロアヴァレーには全然日本人いなかったなあ)。その先、通り沿いにはどっかで聞いたようなブランド店が並んでいますが、あっさり通り過ぎて(心なしか早足になってしまってごめんなさい>妻)地下鉄の駅へ。次の目的地、オペラ座に向かいます。
別にオペラを見たいわけではなくて、この近くにある「香水博物館」が目当てです。いやもちろん私が行きたいわけではなくて、いわゆるひとつの家族サービスなわけですが、まあ期待しないで行った割には面白かったかな。要するに香水屋さんのショールームなんだけど、建物とかはパリっぽくてちょっといい感じでした。それからちょっとデパートに入ってみたり、そのへんを散歩しているうちに雨も止んできました。
オペラ座からは再び地下鉄で、今度はサンジェルマン・デ・プレへ。有名なサンジェルマン・デ・プレ教会を見たあとは、小径をいろいろ散歩&ショッピング。なんかオシャレなインテリアの小物屋さんとかがいっぱいあるみたいんですが、私はよくわかりません。ともかくそうこうしているうちに夕方になり、ちょっと早いかと思ったけど、お腹もすいてきたことだし食事にしましょう。
ずっと洋食が続いてきたことだし、大都市パリに来て、ここはひとつヴェトナム料理でも食べようかということになりました。何故よりによってヴェトナムかというと、もちろん我々が好きだからなんですけど、それだけじゃなくて、フランスとヴェトナムというのは戦前から深い繋がりがあり、そのせいでアジア料理店の中でもヴェトナム料理屋さんが意外と多くて美味しいと言われているのがパリなのです。
とはいえ特別な店を知っているわけでもないので、ガイドブックを見てヴェトナム料理屋さんを探すことにします。どうやらカルチェラタン近辺には何軒かあるようで、ここからなら歩いて15分ぐらいです。のんびり歩いていって、まず最初に見つけた店は、店構えは良さそうな感じなのですが、扉は閉まっていてやってるんだかどうかもわかりません。ちょっと怪しい感じだったので見送ることにして、第二候補の店へ。アジア食材店などが並ぶ界隈にあった店は、庶民的で良い感じだったのですが、ディナーは7時半からとのことで、30分以上待たなければなりません。どうしようかと悩みつつ、あたりを歩いていると、偶然にも第三候補の店を発見。ここもなかなか良さそうだし、すぐに入れるし、何よりかなりお腹が空いていたので、ここに決めてしまいました(お店の名前は失念)。結果は大正解で、ちょっと味付けが濃いものの、基本的には我々が期待した通りのヴェトナム料理で、しかもデザートがとびきり美味しく、大変満足なディナーでした。
ここからリュクサンブールへは、ゆっくり歩いて20分ぐらい。どうせ地下鉄でも途中で乗り換えるとそれぐらいかかるし、気持ちのいい天気になってきたので歩いて帰ることにします。途中、パンテオンの前を通ったりして、午後8時頃には無事ホテルに帰ってきました。
翌3月13日、いよいよ旅行最終日です。朝食後、ホテルに荷物を預けてチェックアウト。まずはモンパルナスに向かいます。天気も良いので歩いていくことにし、20分ほどで着きました。そのまま郵便博物館に入ります。切手や地図の展示が多いので、解説が読めなくても意外と楽しめました。切手の国あてクイズなどで遊んだあと、次はモンパルナスタワーへ。高層ビルの少ないパリ市内で最も高いビルです。屋上展望台からはエッフェル塔が真正面に見え、なかなか壮観でした。昨日歩いたサンジェルマン・デ・プレ界隈や、その向こうのシテ島、さらに向こうにはモンマルトルのサクレクールも見えています。やっぱりとりあえず高いところに登ってみるというのはいいですねえ。サクレクールやシャイヨ宮から見るパリも良かったけど、ここもそれらに負けていません。
モンパルナスタワーを降りると、地下鉄でサン・ポールへ。このあたりマレ地区は、(私はよくわからないのですが)なにやらオシャレなお店が多いとのことです。お腹が空いてきたのでますは昼食、いかにもパリっぽい感じのカフェで、キッシュとサラダを頼みました。お店の外観にたがわず味の方もなかなかで、満足して店を出ると、小道をクネクネと歩きながら、次の目的地であるピカソ美術館を目指します。
ピカソ美術館では、狙っていた特別展は実はまだ始まっていなかったのですが、常設展だけでも十分に楽しめそうなので、ゆっくりと見ていくことにします。ピカソの絵や彫刻については、それを描写する知識も筆力も私には無いので、ともかく私なりに満足したということだけ記しておきます。詳しくは各種ガイドブックや美術書などを御参照ください。
それからまたマレ地区でショッピング。こちらも私の範疇外なので‥‥なんていうと叱られるかな。ともかく最終日なので、お土産を買ったりしているうちに夕方になってきます。サン・ポールの駅から地下鉄でリュクサンブールに戻り、最後にリュクサンブール公園でちょっと一息。日没とともに公園が閉まると、ホテルに預けた荷物をピックアップして、あとはRERに乗って空港に向かうだけです。
7時頃には空港に到着。11時過ぎのフライトなので、まだ時間に余裕があります。買い残したお土産を買い、ファーストフードで簡単な夕食を済ませたところで、そろそろ時間だろうとチェックインカウンターへ。しかし今回の旅行は最後までトラブルが待っていました。まずは長蛇の列。ずいぶん混んでるなあ、と思いつつ列に並んだのですが、なかなか進みません。30〜40分ぐらい経ってようやく順番が回ってきたところ、いきなり「本日オーバーブッキングなのでまだ搭乗券が発券できません。明日の便に振り替えてもらえるボランティアを探しているところです。10時15分になったらお名前をお呼びしますのでお待ち下さい」とのこと。くーっ。せっかく早めにチェックインしてラウンジでのんびりしようと思ったのにー。やむなくベンチに座ってまっていたのですが、言われた時刻になっても何のアナウンスもありません。どうなってるんだと思ってカウンターの近くに行ってみると、似たような人がワラワラと集まっています。で、係員に詰め寄って文句を言った人から搭乗券を貰っている様子。何だよこりゃ、善良な客が泣きを見るだけじゃんか。まったくエールフランス、客を客とも思ってません。とにかくこのままではラチがあかないので、我々も係員につめより、どうにか搭乗券をゲットすることができました。
搭乗ゲートに着いたのは出発20分前ぐらいでしたが、せめてコーヒー一杯でもと思い、エールフランスのラウンジへ。市内のアメックスのカウンターで、アメックスのラウンジが無いのでエールフランスのラウンジが使えると聞いていたのですが、さあ入ろうというところで、おばちゃん係員に制止されました。「そのカードでは入れないんですよ」「いやアメックスで入れると言われたんですが」「駄目はものは駄目です。私はここの責任者です。私が言うんだから間違いありません」相変わらずフランス人態度デカいです。アメックスが間違えたんなら、それはそれでしょうがないけど、もう少し客に対する態度っつーもんがあるだろうが、なんて思うのは日本人だけなんでしょーかね。まあいずれにせよ時間もあんまりないので、そのまま搭乗ゲートに向かいました。
帰りのフライトはパーソナルTVが付いていない機体でしたが、深夜便なので出発したらすぐ寝るだけです。たっぷり睡眠を取って、目覚めると成田まではあと3時間程度。映画は「阿修羅のごとく」をやってました。なんか邦画に縁のある旅行だなあ。そんでもってほぼ定刻に成田到着。ところが、到着後の機内アナウンスで名前を呼ばれ、係員のところへ行って下さいとのこと。まあここまで来るともう驚きません。どうせ荷物が届いてないんだろうなあ。まあ家まで届けてくれるんなら別に困らないし、どうせなら一番運びにくいスキー板だといいなあ、と思っていると案の定スキー板がパリに置き去りとのこと。残りの荷物だけをピックアップし、シャトルバスでヒルトンへ。そこからは、日曜日の夜で流れのよい東関道・首都高を走って、あっという間に自宅に帰ってきたのでした。